ブラック企業正社員が奨学金を返せず自己破産した話

当時23歳。航空業界某下請ハンドリング会社事務職。正社員でも奨学金返済ができず自己破産した経緯を語ります。

アッパー系ブラック企業とダウナー系ブラック企業

ブラック企業の特徴は、気を付けて見て入れば案外簡単に分かるものである。私が勤務していたブラック企業は悪い意味での体育会系で人を酷使するタイプでのブラック企業ではなかったため、ブラック企業とはとにかく体育会系のものだ、と思っている方にとっては、ここもまたブラック企業であることが見抜けないかもしれない。

タイトルで用いた言葉は私が勝手に作った言葉だが、多くの人がブラック企業と認識している企業はいわゆる「アッパー系ブラック企業」であると思う。つまり、

 

・超人でなければ到達できないノルマ

・何百時間にものぼる残業

・「やりがい」「成長」「圧倒的」といった、テンションを無理やり上げるような、しかし実態は虚無の言葉

 

などなど、陽のエネルギーを無理やり作り出し、凡人でしかない人間をスーパーマンに仕立て上げようと酷使する企業だ。

一方で、私が在籍していたブラック企業は、こうした偽りの煌びやかさはない「ダウナー系ブラック企業」であったと思う。

 

・「一日15時間労働」のような明確に「いやそれ、無理じゃん!」と思うような条件はないものの、じわじわと生命を削り取られる

・「どうせここはこんな会社だから」という諦めが漂っている

・目標や目指したいものがない。というか、何のためにある会社なのか不明なレベル

・管理職にやる気がなく、社員を育てようともしないため、放置されたがゆえのモンスター社員が登場する

・社員がどれだけ苦しもうと、「まあこれでいいだろ」と、ろくにその現状を考えない

 

一言でいえば、究極にやる気がなく、会社を大きくしようとも思わず、社員も大切にせず、キャリアアップの道もまるでない

 

…ねえ、何のためにこの会社作ったんですか?誰も幸せになっていませんよ?

と、入社式で一度しか見たことがない社長を揺さぶって問い詰めたいような企業である。こうした企業は、アッパー系ブラック企業のようにダイレクトに労働基準法に違反してはいないため、労働基準監督署への通報や労働審判の提訴といった問題提起がされにくく、指導も入りにくい。だからこそ、こういった企業も多いのではないかと思う。

しかし、じわじわと真綿で首を絞めるように労働者の意欲も健康も奪っていくダウナー系ブラック企業は、いても生命力を消耗するだけだ。

 

このブログをもし転職中の方がお読みでしたら、こういったブラック企業に引っかかる前にその裏事情に気づき、踏みとどまってくださったら…と切に願います。

正社員就職

派遣社員として就労したのは某大企業の営業事務だった。一応前職は貿易事務というカテゴリーに入るのかもしれないが、事務らしい事務は何もしていなかっためまっさらな未経験者として営業部に配属された。もちろん一般職は責任のある仕事、クリエイティブな仕事はさせてもらえないし、派遣社員となれば猶更だ。しかし、それでも最初は精一杯だったし、いきなりハードルの高い正社員就労をするよりは、こうして段階的に鍛えていったほうがよかったと思える。

幸い、派遣社員を「おいハケン」と見下すような社風でもなく、私は社会人になって初めて一人の人間として尊重されたように思った。仕事は確かに単純作業の部類に入るかもしれなかったが、私の行う作業が正社員の、総合職のどのような仕事に繋がるのかを丁寧に説明してもらえたため、自分が何をしなければならないのか、どういった部分を工夫すればよいのかがクリアになる。更に担当の営業マンも爽やかで礼儀正しい女性であり、最初に書類を渡したときに「●●さん、ありがとう」と言われたときは、何と返答したらよいのか分からず固まってしまった。心の底からの感謝ではなく、むしろ挨拶程度の感謝でも、向けられれば嬉しいしやる気も増す。この人にいいバトンタッチができるにはどうしたらいいのか、といったことを自ら考えられるようになり、仕事が面白いと感じる。

居心地はいい職場だったが、もちろんここを安住の地とするわけにもいかない。定期的に転職エージェントに通い、履歴書や職務経歴書のブラッシュアップに励み、求人を吟味し、面接に向かう。もうかつてのように、「なんとなく、ここでいいや」という中途半端な就活はしなかった。中には、あちらは乗り気であっても私のほうから断った求人もある。

この期間に、無事簿記二級も取得できた。これを以て、経理部門や会計事務所でのキャリアアップも考え、就職活動の軸も絞れていく。目標が定まるとより志望動機が明確なものとなり、誰に勧められたわけでもない、自分の意志で進んでいるのだという自覚が持てて面白い。

こうして丁度派遣社員としての就労の契約期限である三ヶ月目を迎えようというときに、私は某税務事務所の内定を得ることができた。もちろん正社員就労であり、難解な業務もあるものの、その分やりがいも多く、キャリアアップの道筋もしっかりある道だ。

短期離職をすること、派遣社員を経歴に挟むことに対して相当葛藤はあったが、今となると思い切って決断をして正解だった。ブラック企業から離れ、勉強をする、次の目標を見つけるという時間を確保できたことは、何よりの収穫であったと思う。

社会人としての自分の育て直し

ブラック企業では細分化された作業しか与えられていなかったため、私には社会人としてのスキルが何も揃っていなかった。そのため、就労開始より先にビジネスマナー及びパソコンスキルを学ぶためにしばらく派遣会社の本社に通った。

派遣社員であった時期はあくまで正社員就労へのつなぎであると認識しており、正直この期間に携わった企業や仕事への愛着は少ない。しかし、この研修こそ私を社会人として育ててくれたものであり、まともな社会人に育て直してくれたという恩を感じる。

名刺交換も電話対応も、事務用品の名前に至るまで一から習った。パソコンは大学生のときにレポート提出の際に使ったことはあったが、社会人だからこそ使うツールの説明などがかなり役に立った。

最も苦労したのは電話対応だった。もちろん敬語は学校でも家でも習ったし、目上の方への手紙などは辞書を引かずともすらすら書ける。しかし電話対応となると、頭では分かっていてもとっさに正しい表現が出てこない。なにせブラック企業では、お客様が目の前にいようとも、舌打ちをして「おい、てめぇ!」とドスをきかせるのが常識であったのだ。上司にタメ口をきく社員も大勢いた。その中でまともな丁寧語を話しているだけで、「何あいつ、お上品ぶっちゃって」「ここはそういうとこじゃねえんだよ」といじめのターゲットになるだけである。それに私は早くに凶悪な先輩に目をつけられたためか、何を話そうとしても「はぁ!?」「ちげぇ!」「そうじゃねえ!」と遮られ、思えばワンセンテンスをしっかり話したことすらなかったように思う。

秘書検定二級のテキストを買うといい、とアドバイスされ、早速書店で買い求めた。そこには、永久に作業しかさせてもらえず、見下され、蹴飛ばされる社会人生活ではない、しっかりと自分の足で立ち会社を支える社会人の、美しい姿が書かれていた。

止まらない自己嫌悪

ブラック企業からの「退職なんかさせない」「早く出勤しろ」という電話連絡がやむのと免責許可決定はほぼ同時だった。私は実家に戻り、派遣会社に登録し、とりあえず正社員就職を目指すまでという条件で派遣社員としての業務を始めた。

両親は、自己破産についてとやかく言うことはなかったが、ブラック企業からの早期離職にはかなり嫌悪感を示していたように思う。というのも、私がどれだけ言葉を尽くしてその惨状を説明しても、それが現実に起きたことだとあまり信じてくれなかったのだ。しかし、それは私の両親が特に堅物だから、想像力がないから、というわけでもない。

「他の航空会社の雑用だけ受託する企業で、定年までデータ入力と書類整理の仕事しかなかった」→「そんな企業ないでしょ、単純作業は最初だけでしょ」

「目が合っただけで胸倉を掴まれて、てめえ、畜生、と怒鳴られた」→「そんなこと本当にする人いたら人格異常でしょ、あなたも何かしたんでしょ」

「お前の人生失敗だな、と面と向かって言われた」→「そんなこと普通の人が言うわけないでしょ、変に解釈しただけじゃない?」

「ロッカーで毎月のように窃盗が起きていた」→「たまたまでしょ?」

「資格試験を受けたくても、希望休を取らせてもらえなかった」→「ありえない、労働者の権利でしょ?」

言いたくなる気持ちも分かる。それほどブラック企業は異常だったから。結局、私は今日に至るまで、ブラック企業の実態を誰にも信じてもらえていない。

就職活動時によく調べなかったばっかりに、内定に飛びついてしまったばっかりに、こんなことになってしまった。そう考えると、これまで育ててもらったこと、教育を施されたり、躾をしてもらったことに対しても顔向けができないように思えてきた。卒業アルバムが見られなくなった。こんな愚かな選択をして最悪な企業に入ったのは同級生で私だけだ。みんなまともに就活をして、吟味して、まともな人生を歩んでいるのだ。

駅に貼ってある塾の広告を見られなくなった。頑張ってきた勉強。そしてその結果、私には「40年以上続くデータ入力」の仕事しか与えられなかった…私が積み上げてきたものは何だったのか?

最も病んでいたときは、ディズニーのCMですら見るに耐えられずテレビを消してしまうようになった。ディズニーランドには幼いときよく連れていってもらえたっけ。それだけ可愛がってもらった、楽しい経験をさせようと思われていた、その結果、他人から胸倉を掴まれ、罵られ、人生ごと否定される。人権を平気で踏みにじり、あざ笑う人たちにボロボロにされる人生だったのだ…こんな人生を歩む私なんか、産まなくてもよかったのに、育てなくてもよかっただろうに…

それでも自殺するまで追い詰められなかったのは、唯一勉強をしている時は楽しかったからかもしれない。派遣社員の仕事は残業もなかったし、簿記二級の勉強時間はしっかりとることができた。数字を扱う勉強は集中力が必要だし、うまく計算が合ったときの爽快感は何ともいえないものがある。そうした小さな成功体験を積み上げていく間だけは、自己嫌悪を忘れることができた。

免責審問、そして免責許可へ

弁護士と委任契約を結ぶと、その翌日から督促の電話も手紙もなくなった。弁護士を立ててまで返済を拒否するなんて逆上させてしまうのではないかと思ったが、債権回収会社にとっては破産手続に入ることを告げられたら「そういうもの」と納得するしかないらしい。

裁判所への申立等はすべて弁護士が行い、私が次にしなければならないことは裁判所での免責審問に出頭することだった。免責不許可自由(ギャンブルやホスト狂いなど…確かに、こうした快楽に耽った挙句借金チャラでは虫がよすぎる)に該当しないことを裁判官の前で説明する必要があるのだ。何を詰問されるのか、自己破産に至った自分の弱さ、甘さを徹底的に尋問され、何を言っても論破されるのではないか。裁判所という慣れない場所に行く恐怖から、ありもしない妄想を毎晩してしまったが、実際は氏名と本籍地の確認くらいしか私が発言するべきことはなかった。ここに至る経緯はすべて弁護士が書面にしているし、考えてみれば裁判官にとってはこれは毎日のようにある仕事なのだ。明らかに免責が認められるであろう人間をここぞとばかりにいびったり、問い詰めてしどろもどろにさせようなどという人はいない。こちらは大いなる屈辱と恥ずかしさを感じていても、裁判官はむしろかなり淡々としていた。呼ばれた先も厳めしい法廷などではなく会議室のような小部屋で、木槌を振り下ろすようなドラマチックな展開も皆無だった。(日本ではそもそも木槌がないと、同席していた弁護士が教えてくれた)

一週間後、法律事務所から免責許可が電話で告げられた。「おめでとうございます」と事務員さんは言ってくれたが、この自己破産がめでたいものになるのか否かはこれからの私にかかっている。裁判所からは借金の帳消しを許されても、私がここに至った私を許すかは、まだ不透明なままだ。

自己破産のデメリット

「本当に大丈夫なんでしょうか…」

手続は意外に簡易なものであり、ハードルもそう高くない。しかし私は、まだ払拭しきれない不安が多く残っていた。

借金がまったくなくなるなんて、夢のような話だ。だからこそ、メリットしかない手続きであったら誰もが自己破産をしてしまい、債権者は泣き寝入りせざるを得なくなる。自己破産なんて絶対にしたくない、と頑張って働くモチベーションにもなりうるほど、自己破産はデメリットが多いものだ。

①生活必需品以外は全て手放すことになる

私の場合は当てはまらなかったが、もし車や美術品を所持していた場合、ドラマでよく見るような赤い札が私物にべたべたと貼られ、有無を言わさず持っていかれるのだろうか…典型的な「借金を負った人」というレッテルが貼られてしまったように思えてしまう。このコンプレックスを乗り越えるにはかなりの時間が必要だった。

②一定の職業に就けなくなる

弁護士、司法書士といった就きたくても就けないような仕事も多いが、警備員、証券業、旅行業など範囲が幅広い。私は自己破産手続中は無職だったが、やはり自己破産をしたという後ろめたさがあり、こうした業務への転職はなんとなく敬遠した。

③連帯保証人がいる場合は迷惑がかかる

「連帯保証人だけには絶対なるな」と言われている人も多いと思うが、連帯保証人はこのように債務者が返済できない状況に陥ると、債務者の代わりにこの膨大に膨れ上がった債務を、時には一括で返済する必要がある。

私は奨学金を借りるときに連帯保証人を立てる人的保証ではなく機関保証にしていたため、誰に迷惑をかけることもなかった。もし親を連帯保証人にしていたら、自己破産の選択を躊躇っていただろう。

④官報に掲載される

「破産者であるという情報が全国に公開されるんですか…?」

私の声が最も絶望的なトーンになったのはこの情報を再確認したときであったように思う。

「たしかに掲載はされますが、官報の破産者欄を毎日じろじろ眺めて、ああこの人は借金を抱えていたんだな、なんていちいち詮索する人は誰もいませんよ。あなたもどんな人が破産者かなんてご存じないでしょう?」

事務員さんは優しく説得してくれたが、転職の際私の名前が調べられるのではないか、借金で首が回らなくなった駄目人間と思われるのではないか、といった不安がどうも払拭できない。

つまり私が最も心配していたことは、自己破産が今後の人生に暗い影を落とすのではないか、転職や結婚で苦労するのではないか、ということだった。

たしかに一部の職業は制限されるのだから、その職業に就いている人にとっては死活問題だ。カードもブラックリストに載るのだから、すぐに結婚してすぐにマイホームを、というのも難しい。

「だからこそ、お若いうちに破産のご決断をされた方がいいです。ブラックリストは10年で消えます。その時でもまだ33歳ですよ。あなたは若い。若すぎるくらいなんです。これからの人生、どうとでも好転しますよ。」

「…分かりました。」

 

自己破産は借金からの卑怯な逃亡、というように考えていたふしもある。しかし、ある意味で人生をやり直す好機であるならば、これに賭けたい、やり直したい、と強く思った。

債務整理の種類

弁護士が説明してくれた話を要約すると、債務整理には三種類ある。

①自己破産

借金を完全にゼロにする手続。裁判所の許可が必要であり、職業制限がある、一定期間ローンが組めないなどデメリットも多い。

②任意整理

債権者と交渉し、返済可能な額まで借金を減額し、分割して返していく。日本学生支援機構はこの任意整理に応じていないため、奨学金の返済ができない場合はこの方法は使えない。

民事再生(個人再生)

債権者と交渉し、三年以内で減額された債務を返済するという計画を裁判所に提出し、認めてもらう方法。もともと奨学金は20年程度かけて返済するものなので、三年以内の返済となると現在より返済計画が厳しくなるため、これも私は選択できない。

 

というわけで、私が選択できる債務整理は自己破産のみだった。そして自己破産にも二種類存在する。

①管財事件

破産管財人という弁護士が裁判所から選出され、債務者の財産をすべて換金し、債権者に平等に分配する。ある程度の財産はあるが、債務が莫大である場合に用いる方法。会社の倒産などで用いられる。

②同時廃止

そもそも換金できる資産などがまったくないため、管財人を選出するまでもない場合。破産の申立と同時に免責許可を出す簡易な手続。

当時私の手元にある現金は10万円を切っており、不動産の所有ももちろんなかったため、同時廃止の方向でいくことは初回の面接でサクサクと決まっていった。