ブラック企業正社員が奨学金を返せず自己破産した話

当時23歳。航空業界某下請ハンドリング会社事務職。正社員でも奨学金返済ができず自己破産した経緯を語ります。

止まらない自己嫌悪

ブラック企業からの「退職なんかさせない」「早く出勤しろ」という電話連絡がやむのと免責許可決定はほぼ同時だった。私は実家に戻り、派遣会社に登録し、とりあえず正社員就職を目指すまでという条件で派遣社員としての業務を始めた。

両親は、自己破産についてとやかく言うことはなかったが、ブラック企業からの早期離職にはかなり嫌悪感を示していたように思う。というのも、私がどれだけ言葉を尽くしてその惨状を説明しても、それが現実に起きたことだとあまり信じてくれなかったのだ。しかし、それは私の両親が特に堅物だから、想像力がないから、というわけでもない。

「他の航空会社の雑用だけ受託する企業で、定年までデータ入力と書類整理の仕事しかなかった」→「そんな企業ないでしょ、単純作業は最初だけでしょ」

「目が合っただけで胸倉を掴まれて、てめえ、畜生、と怒鳴られた」→「そんなこと本当にする人いたら人格異常でしょ、あなたも何かしたんでしょ」

「お前の人生失敗だな、と面と向かって言われた」→「そんなこと普通の人が言うわけないでしょ、変に解釈しただけじゃない?」

「ロッカーで毎月のように窃盗が起きていた」→「たまたまでしょ?」

「資格試験を受けたくても、希望休を取らせてもらえなかった」→「ありえない、労働者の権利でしょ?」

言いたくなる気持ちも分かる。それほどブラック企業は異常だったから。結局、私は今日に至るまで、ブラック企業の実態を誰にも信じてもらえていない。

就職活動時によく調べなかったばっかりに、内定に飛びついてしまったばっかりに、こんなことになってしまった。そう考えると、これまで育ててもらったこと、教育を施されたり、躾をしてもらったことに対しても顔向けができないように思えてきた。卒業アルバムが見られなくなった。こんな愚かな選択をして最悪な企業に入ったのは同級生で私だけだ。みんなまともに就活をして、吟味して、まともな人生を歩んでいるのだ。

駅に貼ってある塾の広告を見られなくなった。頑張ってきた勉強。そしてその結果、私には「40年以上続くデータ入力」の仕事しか与えられなかった…私が積み上げてきたものは何だったのか?

最も病んでいたときは、ディズニーのCMですら見るに耐えられずテレビを消してしまうようになった。ディズニーランドには幼いときよく連れていってもらえたっけ。それだけ可愛がってもらった、楽しい経験をさせようと思われていた、その結果、他人から胸倉を掴まれ、罵られ、人生ごと否定される。人権を平気で踏みにじり、あざ笑う人たちにボロボロにされる人生だったのだ…こんな人生を歩む私なんか、産まなくてもよかったのに、育てなくてもよかっただろうに…

それでも自殺するまで追い詰められなかったのは、唯一勉強をしている時は楽しかったからかもしれない。派遣社員の仕事は残業もなかったし、簿記二級の勉強時間はしっかりとることができた。数字を扱う勉強は集中力が必要だし、うまく計算が合ったときの爽快感は何ともいえないものがある。そうした小さな成功体験を積み上げていく間だけは、自己嫌悪を忘れることができた。