破綻の始まり
「…はい、申し訳なく思います…はい、明日こそ、本当に…」
目の前にいない相手に猛烈に頭を下げながら、やっとスマホを耳から外す。溜息が病室の白い天井に広がっていった。
めちゃくちゃな夜勤シフトに体が悲鳴を上げ、私は退勤中に倒れた。幸い、倒れた場所は空港のターミナル内だったため即座に救急車が呼ばれ、適切な処置を受けることができたのだが。
(大丈夫?とか、お大事にね、とか…一言も言われなかったな…)
辛いという気持ちが生じないうちに、ひたひたと涙があふれてきた。
「え?困るんだけど。持ち場に君しかいないって分かってるよね。うちは人手不足なの。君が今日の夜勤入ってくれないと、昼勤の●●さんが引き続き夜勤入ってもらわなきゃいけないんだけどな。そういうのってどう思う?あと君、今OJTのトレーナーでしょ。新入社員にも迷惑だよね?明日は絶対に来てよ。来てくれないと困るんだよ」
(このまま死ねば、先輩もあんなこと言ったことを後悔…しないか…)
具体的な疾患が見つかったわけではないが、とにかく極度の疲労のため起き上がることすらできず、食欲もまるでなく、何かあるのではないかと不毛な検査が続けられ、入院期間は長引いていく。早く出勤しないとまた嫌味を言われる、という恐怖もあったが、ここでは襲い掛かる睡魔に打ち勝つ必要はないし、怒鳴られない、胸倉を掴まれない、恐怖と屈辱に身を縮めることはない…「大丈夫です、退院させてください」と言わなくちゃ。そう思いながらも、自ら地獄に飛び込んでいく勇気が持てず、私は真っ白なシーツの中で一時の平和を堪能した。
そして、次の給料日。
(まあ…ですよね…)
6万円。適度にアルバイトをする大学生並みの給与が印字された通帳を、私は死んだ魚のような目で見つめた。正社員は休んでも月給が保証されると友人は言っていたが、そんなものは一部の優良企業社員だけに与えられた特権なのだろう。
(でもよかった、こういう時のために二社で借入をしておいて)
「保険」としてかけておいたカード会社から借り入れ、返済に充てる。
(来月はしっかり働かないと…)
しかし、一度人前で泡を吹いて倒れるような人間が翌月からは健康的に働けるはずもない。自律神経が完全に壊れていると医師から指摘されたため、更に高額の薬―もちろん保険適用だが、ブラック企業勤めからすれば高級品に等しいーを購入し、貧血を起こし、まっすぐ歩けなくなり、目の前が真っ白に靄がかかったようになり、欠勤は増え、給与は減り、そして借り入れの自転車操業が追い付かなくなる。
「奨学金の引き落としがされません」
その文言が書かれた手紙がポストに投函されるまで、長くはかからなかった。